詩人・福田拓也(前三田文学編集長)のブログ

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zoom RSS 関根謙編集長の三田文学 8

<<   作成日時 : 2017/04/16 17:09   >>

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唐突で強引な三田文学編集長交代と関根謙三田文学編集長の不見識・不手際が原因で、三田文学春季漱石特集号から、保坂和志氏の連載、梅原猛先生の連載、岡英里奈さんと片岡周子さんの小説、芥川賞作家二人の小説が消え、代わりに関根謙編集長は自身の判断により、庵原高子「夏の星」、そして追悼・三浦朱門を導入した。

権力側から富裕層の立場で数々の愚言・妄言を重ねてきた三浦朱門のような文学者を関根謙三田文学編集長は、どのような観点から三田文学で追悼するにふさわしいと考えたのであろうか。軍需産業の利益を上げ、株主配当金等で大儲けを企む富裕層・権力者たちが幅をきかす現今の政治状況での三浦朱門追悼で関根謙編集長はどのような文学=政治的メッセージを発しようとしたのであろうか。三浦朱門は第三の新人で三田文学と縁があるし、三浦朱門なら理事や監事で書けるのがいるから三浦朱門くらいの判断では、もはや通用しないはずである。

三浦朱門追悼をする以上、関根謙編集長の編集する三田文学は、権力者・富裕層の立場から発せられた言葉の側に立つ雑誌であると考えられても仕方がない。ところが、前三田文学編集長の私の目指した三田文学は全く逆のものだ。私にとって、文学とは何らかの形で既存の権力構造や言説構造を揺るがし破壊し脱臼させることを目論む言葉のことだ。三田文学は、そのような言葉・テクストの複合体を目指すというのが私の立場だ。だからこその梅原猛連載であり保坂和志連載であり、目取真俊連載であり、ラカンでありデリダでありアルトーであるわけだ。そうすると、三田文学春季漱石特集号で言えば、一冊の雑誌に沖縄で戰う目取真俊連載、ラカン、アルトーと三浦朱門追悼が同居するという奇妙なことになってくる。異質なものを導入することと見識の無さ、ヴィジョンとセンスのなさ、思考停止に由来する支離滅裂なちぐはぐさとは全く別のものだ。三田文学春季漱石特集号の支離滅裂、ちぐはぐさは、唐突で強引な編集長の交代と関根謙三田文学編集長のヴィジョン・見識・思考停止に100%由来している。

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