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詩人・福田拓也(前三田文学編集長)のブログ
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家族、誤配、観光客―ー東浩紀さんの『ゲンロン0 観光客の哲学』

2017/08/25 09:22
 御恵送頂いていた東浩紀さんの『ゲンロン0 観光客の哲学』を読んだ。
 破産したリベラリズム、そしてその後を継ぐナショナリズムとグローバリズムの後に来るべき観光客についての思考を導き出す第一部の明快で緻密な展開に惹き付けられた。
 第二部は、独立した論文を集めたように見せながら、最後のドストエフスキー論が書物全体の結論になっているところに「誤配」の実践を見るような気がした。そもそも、哲学的な言葉が観光客について語る行為が既に「誤配」なのかもしれない。そして、観光客が「子どもたちに囲まれた不能の主体」であるところも。
 観光客、「誤配」、「家族」という概念を(もちろん「誤配」しつつ)持ってくることによって、他者論が往々にして無害というのみならず官僚的というかリバタリアニズム的なもの(?)にすらなってしまうという陥穽を避けるそのしなやかな仕草にも「誤配」的なものを見るべきか。
 このように、書物自体に様々な「誤配」が仕掛けられているように見えるところがとても魅力的だ。
 死に追いやられる単独者的なものに代替物が取って替わりに来る運動である「家族」、恐らくそのような運動が展開される「誤配」の空間、そしてやはりそのような運動を体現する観光客、これらの概念が、ナショナリズムとグローバリズム二層構造によって特徴付けられる現代世界について考える際に重要なものであることは疑い得ない気がする。
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アメリカと北朝鮮――戦争の危機

2017/08/12 16:28
 アメリカが北朝鮮を本気で潰そうと考えるとすれば、それは、北朝鮮の脅威を煽ることによって増大する兵器産業の利益と北朝鮮解体後の資本流入による利益とを秤にかけ、後者が前者を上回るという結論が出た時であろう。そして、北朝鮮攻撃に際して、朝鮮半島と日本を戦争状態に陥れ、そのことによって兵器産業の利益を増大させることも、日米の支配層が目論む北朝鮮解体の大きな目的の一つだろう。
 このような事態は、マスメディア的言説やマスメディアを主な舞台とする社会科学的言説によっては決して言語化されることはない。このような事態は、マスメディア的言説や社会科学的言説にとっての無意識のうちに留まる。
 それでは、このような根源的な事態が例えばマスメディア的言説によってどのように言語化されるのかと言えば、それは、擬人化・道徳化・フィクション化という相互に重なり合う三つの操作による。こうして、国際的ルールを守らず地球を混乱に陥れる悪い国、「ならず者国家」である北朝鮮を正義の秩序を代表するアメリカが自らと周辺諸国を守るためにやっつける、という唖然とするほど単純で幼稚な勧善懲悪的フィクションが、アメリカと北朝鮮に関するあらゆる国際問題報道の枠組みとして繰り返し機能し続けることになる。ここには、一国を、いい者であれ悪者であれ、一人の人間に譬える擬人化と、その人物たちを善と悪に振り分ける道徳化と、この人物たちから西部劇、ウルトラマン、仮面ライダー顔負けの勧善懲悪的ストーリーを作り上げるフィクション化という三つの操作が機能しつつ、北朝鮮存続の利益と解体の利益の比較・計算という現実を隠しつつ露わにしている。
 そして、マスメディアを通してアメリカ=北朝鮮関係について知ろうとする世界中の人たちの大半が、日常生活にあっては誰も信じないくらい幼稚な、擬人化・道徳化・フィクション化という三重の機能による勧善懲悪的フィクションという枠組みを通してのみアメリカ=北朝鮮関係(のみならずあらゆる国際関係)を解釈することになっている、というか解釈するように半ば強制されているというところに、今日の世界、国際社会を支配する言説的制度がある。
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hotel第2章no.40に詩が載りました!

2017/05/20 16:01
hotel第2章no.40に「惑星の塵埃(ハウスダスト)」が載りました。最後の部分がけっこう凄いという噂(?)です。ぜひ御購入のほどを! この詩の朗読も御覧下さい!
https://youtu.be/VQ2ZdFug1Vc

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1977年カントリーヒット・メドレー

2017/05/06 10:27
1977年のカントリーヒット・メドレーをYouTubeにアップしました。
曲は、Waylon Jennings - Luckenbach Texas, Don Williams - Some Brcken Hearts Never Mend, Mickey Gilley - She's Pullin Me Back Again, Larry Gatlin - I Don't Wanna Cryの4曲です。
https://youtu.be/1pzq2ieFAUQ
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関根謙編集長の三田文学、その後の展開 2

2017/04/29 12:08

 吉増剛造さんによれば、関根謙三田文学編集長は、このままだと火がついて大変なことになり、三田文学の名に傷がつくことを危惧しているという。しかし、関根謙三田文学編集長自身が唐突かつ強引な編集長交代によって三田文学を餌場とする三田文学会理事たちの間での利益供与の体制を確立したことで既に三田文学の名は傷ついている。関根三田文学の本質が「三田文学会理事たちの利益供与・利益分配のシステム、あるいはそれを目的として機能するシステム」でしかないものとなったことで三田文学の名は既に傷ついている。そして、この事態の責任は、私を三田文学編集長に任命し私の続投を主張していた吉増さんにではなく、100%関根謙編集長に帰せられるべきである。
 関根謙編集長がやるべきは、吉増さんに責任転嫁することでもなく、私の敬愛する吉増さんを動かして私を黙らせるなどという姑息かつ卑劣な手段に訴えることでもなく、私に批判されないような誌面作りをそれこそ命がけで死力を尽くして目指すことのみであろう。
 自身の著作を書評対象とすることによって自身の著作の宣伝に三田文学を利用したり、三田文学会理事やその周辺の人物たちに執筆機会を分配するようではお話にならない。関根謙三田文学編集長のそのような編集態度と吉増理事長の意思に反する強引な編集長交代こそが、今の三田文学の窮境を引き起こしたことを関根謙編集長ははっきり自覚し、逆風の中必死で良い誌面作りに励むべきだ。責任転嫁しつつ私を黙らせようと画策することなど、何の解決策にもならないし、三田文学のプラスにもなりはしない。
 関根謙編集長は、自身の保身を考えるのではなく、三田文学のことを真剣に考えるべきだ。
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関根編集長の三田文学、その後の展開 1

2017/04/29 11:35
一昨日、私の尊敬する詩人であり三田文学会理事長でもある吉増剛造さんと電話でお話しした。関根謙三田文学編集長が、私のツィートとブログを吉増さんの責任であるとし、そのことで吉増さんを非難しているとのことだった。
私は、「僕はもう三田文学とは全く関わりがない。関根謙編集長及びその周辺の理事たちが吉増さんの責任だと言っているそうだけれど吉増さんには何の責任もない。関根謙編集長及びその周辺の理事たちは自分たちがやったことの意味を考えなくてはいけないと思う。吉増さんは、『私は福田三田文学を続投させようとしたが、あなたたちが無理矢理辞めさせた。だから、自分たちで、福田に批判されない素晴らしい三田文学をつくってください』と彼らに言ってください」と、何度もお願いした。
「吉増さんが僕を連れて来て、それで、自分でいうのもなんだけど素晴らしい三田文学になった。それを関根謙編集長及びその周辺の理事たちが辞めさせた。吉増さんは三田文学に対していいことしかしていない。『私は素晴らしい編集長を連れて来て、彼を続投させようとした。このまま続投させれば三田文学の黄金時代になると思っていた。それを関根謙編集長及びその周辺の理事たちが辞めさせた。』と、公衆の面前で、言って欲しい。今回のブログ騒動の原因は全て関根謙三田文学編集長及びその周辺の理事たちにある。大勢の人の前でそう言えばみんなが納得する」と吉増さんを説得しようとした。
しかし、恐らく関根謙編集長及びその周辺からの圧力によるものだろう、吉増さんは、私に対して、関根謙編集長に関する私のツィートとブログを削除すること、少なくとも今後3ヶ月の間は三田文学についてツィートやブログを書かないことを要求し、私がこの要求を吞まないと、吉増さん自身が理事長をやめることになると仰有った。
結局、私は二点の要求を丁重にお断りすると共に、もし吉増さんが絶対理事長を辞めなければならないなら、ぜひそうして頂き、関根謙編集長の三田文学という腐敗した環境と縁を切って頂きたいとお願いした。すると、吉増さんは、「そう来たか」と仰有って笑っておられた。さすが吉増さん!
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関根謙編集長の三田文学 12(結論)

2017/04/16 17:17
関根謙三田文学編集長の編集する三田文学の本性がだいぶ露わになってきたようだ。関根謙編集長の目指す三田文学とは、三田文学会理事たちの利益供与・利益分配のシステム、あるいはそれを目的として機能するシステム、と定義付けられるであろう。私が企画・原稿依頼のほとんどすべてを担当した三田文学春季号漱石特集にあって、関根謙三田文学編集長が自身の判断・不手際等で私によって既になされた企画・原稿依頼・連載を切ることによって、関根謙編集長自身が原稿依頼することを得た書き手のほとんど全員が三田文学会理事である。

それは次の各氏である。

坂本忠雄(三田文学会監事)、加藤宗哉(三田文学会理事)、巽孝之(三田文学会常任理事)、粂川麻里生(三田文学会理事)、荻野アンナ(三田文学会理事)、庵原高子(三田文学文章教室講師)、櫻庭ゆみ子(中国文学者、慶應義塾大学准教授)ーー関根謙編集長自身の著作の書評担当
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関根謙編集長の三田文学 11

2017/04/16 17:14
唐突で強引な三田文学編集長交代と関根謙三田文学編集長の不見識・不手際・判断が原因で、三田文学春季漱石特集号から、保坂和志氏の連載、梅原猛先生の連載、岡英里奈さんと片岡周子さんの小説、芥川賞作家二人の小説、連載「三田文学女子会」、漱石特集の三田文学女子会鼎談が消えた。代わりに関根謙三田文学編集長は自身の判断により、庵原高子「夏の星」、そして追悼・三浦朱門を構成する坂本忠雄と加藤宗哉のテクスト、自著の書評、そして巽孝之、粂川麻里生、荻野アンナら三田文学会理事・常任理事らの書評を導入した。つまり、関根謙編集長は、編集長交代と自身の失策・判断によって、明らかにこれからの三田文学を支えていくはずの価値ある連載・掲載・企画をカットして、その代わりに驚くほど一貫して、三田文学会中枢あるいは周辺の人物たちのテクストを導入しているのである。このことによって、関根謙編集長の編集する三田文学の本性がだいぶ明らかになって来る。それは、三田文学会理事たちのための三田文学ということだ。

私が三田文学編集長として企画・原稿依頼のほとんどを行なった三田文学春季漱石特集号でさえも、私が編集長を続けた場合に実現したであろう号よりも明らかに質の落ちたものが関根謙三田文学編集長のもとで出来上がっている。もし私に編集長としての資質がなくてやめさせられたのであれば、後任には私より優れた編集長が来て冬季保坂和志特集号より優れた号を作ったはずであろう。しかしそうなっていない。むしろはるかに劣ったものが出来上がったとすれば、いったい何のための編集長交代だったのか。それとも、三田文学を餌場とする三田文学会理事たちの間での利益供与の体制が確立されたのであるから、目的は既に達せられたとでも言うのであろうか。
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関根謙編集長の三田文学 10

2017/04/16 17:13
三田文学春季号の漱石特集はひとつの挑戦だった。他誌で既に充実した特集があるところでどこまでやれるのか、と。大家の座談会は既に行なわれているので、若手の優秀な研究者と批評家に対談をお願いした。幸い素晴らしい書き手に恵まれたが、もう一押しということで、毛色の変わった三田文学女子会鼎談を企画した。これは話題性もあり、朝日新聞の取材が入る予定だった。今時の慶應の女子学生が漱石をどう読むかあたりで釣っておいて、実は岡英里奈、井上柚季、矢部絵莉香という相当の読み手が鋭い意見を飛び交わせるという予定だった。これも参加者に依頼し、彼女達は漱石を読み始めていたはずである。関根謙三田文学編集長は、ここでも三田の新人たちの言葉を奪いつつ、そのことによって三田文学会理事・監事やその周辺の人物のテクストと自著の書評を導入することを可能にするという愚を犯している。雑誌は配合とバランスが大事だ。三田文学女子会鼎談は、ちょっと異質な胡椒のようなもので、これを振ることで漱石特集がぴりっと締まった、より刺激的なものになった可能性があった。私がそこまで考えて決めた特集全体から一部を取り去ってバランスをめちゃめちゃにして、いわば殺してしまっている。関根謙三田文学編集長には、雑誌が生き物であることがわかっていない。
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関根謙編集長の三田文学 9

2017/04/16 17:11
三田文学春季漱石特集からは、連載「三田文学女子会」も消えている。これは、保坂和志氏の練習状態にあるエクリチュールの三田文学なりの実践として私が考え出したものだ。才能ある学生たちが自動筆記的な実践に取り組んで、いい言葉を出していた。学生たちが自身の才能を発見し伸ばすきっかけにあれば、と思っていた。朝日新聞文芸部記者の方にも、三田文学の強みは学生とのつながりがあると言って頂いていた。岡英里奈さん、井上柚季さん始め才能ある新人たちが喜んで取り組んでいた。三田の才能を伸ばす可能性があったこの企画を関根謙三田文学編集長はあっさりと切り捨て、代わりに三田文学会理事・監事、三田文学会周辺の書き手の文章、そして自身の著作の書評を導入したのである

三田文学春季号の漱石特集では、実はもう一人一流の研究者に原稿依頼をお願いしていた。一度は断られたのだが、どうしてもということで引き受けて頂いた。漱石の小説の語りについての犀利な分析が期待できた。そこへの編集長交代でその方から「はしごを外された気持ちです」とのメールを頂いた。その方の論考が三田文学漱石特集に載らなかったのも明らかに唐突で強引な編集長交代に由来するものだ。
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関根謙編集長の三田文学 8

2017/04/16 17:09
唐突で強引な三田文学編集長交代と関根謙三田文学編集長の不見識・不手際が原因で、三田文学春季漱石特集号から、保坂和志氏の連載、梅原猛先生の連載、岡英里奈さんと片岡周子さんの小説、芥川賞作家二人の小説が消え、代わりに関根謙編集長は自身の判断により、庵原高子「夏の星」、そして追悼・三浦朱門を導入した。

権力側から富裕層の立場で数々の愚言・妄言を重ねてきた三浦朱門のような文学者を関根謙三田文学編集長は、どのような観点から三田文学で追悼するにふさわしいと考えたのであろうか。軍需産業の利益を上げ、株主配当金等で大儲けを企む富裕層・権力者たちが幅をきかす現今の政治状況での三浦朱門追悼で関根謙編集長はどのような文学=政治的メッセージを発しようとしたのであろうか。三浦朱門は第三の新人で三田文学と縁があるし、三浦朱門なら理事や監事で書けるのがいるから三浦朱門くらいの判断では、もはや通用しないはずである。

三浦朱門追悼をする以上、関根謙編集長の編集する三田文学は、権力者・富裕層の立場から発せられた言葉の側に立つ雑誌であると考えられても仕方がない。ところが、前三田文学編集長の私の目指した三田文学は全く逆のものだ。私にとって、文学とは何らかの形で既存の権力構造や言説構造を揺るがし破壊し脱臼させることを目論む言葉のことだ。三田文学は、そのような言葉・テクストの複合体を目指すというのが私の立場だ。だからこその梅原猛連載であり保坂和志連載であり、目取真俊連載であり、ラカンでありデリダでありアルトーであるわけだ。そうすると、三田文学春季漱石特集号で言えば、一冊の雑誌に沖縄で戰う目取真俊連載、ラカン、アルトーと三浦朱門追悼が同居するという奇妙なことになってくる。異質なものを導入することと見識の無さ、ヴィジョンとセンスのなさ、思考停止に由来する支離滅裂なちぐはぐさとは全く別のものだ。三田文学春季漱石特集号の支離滅裂、ちぐはぐさは、唐突で強引な編集長の交代と関根謙三田文学編集長のヴィジョン・見識・思考停止に100%由来している。
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関根謙編集長の三田文学 7

2017/04/16 17:07
三田文学春季漱石特集号からは、梅原猛先生の連載も消えている。梅原先生からお葉書を頂き、御体調が優れないということは伺っているが、突然の編集長交代がきっかけになっていることは疑い得ない。また、梅原先生には申し訳ないが、2,3枚でもと言って頭を下げてお願いすることもできたはずである。梅原先生の文章と巨大な存在自体が三田文学にどれほど多くのものをもたらしていたか想像もできないほどだ。唐突で強引な編集長交代がここでも三田文学に大きな損失をもたらしている。関根謙三田文学編集長はこの損失をどう考えているのか、また、どのようにしてこの失点を取り戻そうと考えているのか。恐らくこれが損失であることにも気付いていないであろう。
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関根謙編集長の三田文学 6

2017/04/16 17:05
坂本忠雄、加藤宗哉、庵原高子という三田文学理事会の中枢あるいは周辺にいるこの3人は、いずれもかつて三田文学の常連であり、いわば「地味でつまらない」とされた古き三田文学を代表・表象する顔であると言ってよい。しかし、私は三田文学編集長として、少なくとも2017年秋季号以来、三田文学のレベルを維持するために、また三田文学の将来のために、この3人の原稿を掲載すべきではないと考えていた。

とりわけ、坂本忠雄が三田文学2016年秋季号まで連載していた「小林秀雄と河上徹太郎」は、引用を連ねるなかに批評家の言葉をなぞるだけという批評性ゼロのひどい代物だった。私は三田文学編集長として、この連載があるだけで三田文学のレベルが下がってしまうという危機感を抱いていた。三田文学春季漱石特集号で、関根謙三田文学編集長はどうしてこのような書き手のものを再び掲載したのか。坂本が三田文学会監事であるという理由以外に何があるのか。ところが、理事だろうが監事だろうか、三田文学会の外にいる読者にとってはどうでもいいのである。関根謙編集長には、三田文学が書店の店頭に並び、見ず知らずの読者の目にさらされ得るものだということが本当にわかっていない。そこまで見ずに、三田文学会という狭い範囲内ですべての判断をするから、原稿依頼のずさんさ、書評蘭での自著の選択、あるいは原稿依頼のキャンセルなど様々な錯誤を犯すのである。

繰り返すが、三田文学に多大な貢献をした才能ある岡英里奈氏への原稿依頼をキャンセルし、代わりに庵原高子「夏の星」という愚劣極まりない小説を三田文学夏季漱石特集号に載せた関根謙三田文学編集長の良識のなさ、見識のなさ、文学的センスのなさは深く問題視されねばならない。
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関根謙編集長の三田文学 5

2017/04/16 17:04
それでは、岡英里奈、片岡周子という有望な新鋭たちへの原稿依頼をキャンセルするという掟破りまで犯して、関根謙三田文学編集長が自身の判断で導入したのは誰のテクストだろうか。庵原高子の小説と三浦朱門追悼の坂本忠雄、加藤宗哉のテクストである。坂本は三田文学会監事、加藤は三田文学会理事、庵原も三田文学と深い関わりのある人物である。

三田文学春季漱石特集号に岡英里奈氏と片岡周子氏への原稿依頼をキャンセルしてまで関根謙三田文学編集長が掲載した小説、庵原高子「夏の星」は、実は私が既にボツにしていたものである。カトリック団体のバスツアーで福島第一原発見学に出かける話だが、バスから見るものすべてから過去の回想やトラウマの話に入ってしまい、最後は鮫川で蛍をみようとはしゃいだりで、肥大化した「わたし」の前にフクシマなどどこかに吹っ飛んでしまうというような小説だ。確信犯的にノー天気なミーハー振りでも書けばまだしも、どうやら「星」をフクシマの希望と救いの象徴と考えているという偽善的な唾棄すべき作品である。このような作品を敢えて掲載した関根謙三田文学編集長の見識と文学的センスは深く問題視されねばなるまい。
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関根謙編集長の三田文学 4

2017/04/16 16:57
三田文学春季漱石特集号では、青来さん、福永さん、そして芥川賞作家2人に加えて、三田の新鋭片岡周子氏と岡英里奈氏の短篇を原稿依頼していた。片岡氏についてはまだ未知数のところがあったが、岡氏のことは高く評価していた。ところが関根謙三田文学編集長はこの二人の掲載を取りやめにしてしまった。たとえ内輪の新人であったにしても、一度原稿依頼したものを取りやめにすることは絶対にあってはならない。かつて三田文学に深く関わった恩師で尊敬する歌人でもある高山鉄男先生にもこのことは強く言われていた。ここでも関根謙三田文学編集長の編集長としての資質は問われるべきである。

例えば岡英里奈氏に一度原稿依頼したものをやめにするのは岡氏に対して失礼である。しかも岡氏は三田文学にとっては功労者と言っていい。三田文学2016年秋季号と冬季保坂和志特集号に岡氏が書いたエッセーは、それぞれ古川日出男氏、保坂和志氏という一線級の作家に非常に高く評価されていた。岡氏のおかげでこれらの作家に三田文学が一目置かれたということだ。そしてそのことがこれからの三田文学にどれほど多くをもたらすか、関根謙三田文学編集長はそういったことを少しでも考えたことがあったのか。考えていたのなら、岡氏の掲載をあっさり切れないであろう。そのような視野の狭さで三田文学編集長が務まるのだろうか。

三田文学冬季保坂和志特集号、岡英里奈氏の「コーリング」論、この作品についてこのレベルのものを書ける人はほとんどいないだろう。しかも、全く批評的でない言葉が高度な思考になっているというここにはスタイルの根本的な新しさがある。

いったん原稿依頼したものを取りやめにすることは決してあってはならない。たとえ相手が内輪の学生であっても、だ。むしろ新人であったら、なおさらだ。例えば将来、岡英里奈さんや井上柚季さんが大きな作家になったとき、かつて編集長から理不尽な扱いを受けていたら、無理をしてでも三田文学への寄稿を引き受けるだろうか? 私は三田文学編集長として常にそのようなことを考えて三田の新人たちに接していた。関根謙三田文学編集長にはそのような発想が根本的に欠落している。それで本当に三田文学のことを考えていると言えるのか。そんな編集長でいいのだろうか。
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関根謙編集長の三田文学 3

2017/04/16 16:56
三田文学春季漱石特集号掲載の青来有一さんと福永信さんの小説の他に二人の芥川賞作家の小説をお願いして承諾を得ていた。もちろん4人の方すべて私が原稿依頼した。今回載らなかった二人の芥川賞作家にも熱意をもってアタックし、一人は一つの文から作品全体を作るということまでおっしゃって乗り気であった。どうして二人の作品がないのか。関根謙三田文学編集長のまずいアプローチ、あるいは少なくとも時期を弁えぬ唐突で強引な編集長交代が二人の芥川賞作家のモチベーションを削いだことは想像に難くない。

三田文学冬季保坂和志特集号で自分の三田文学編集長としてのスタイルは確立されたと思っていたが、それからも各号ごとに売り込みどころを微妙に換えながら変奏を加えてやって行くつもりだった。三田文学春季漱石特集号の売り込みどころは三田文学としては異例の芥川賞作家3人による小説だった。お名前を上げられないのが残念であるが、もし私が編集長を続けて、福永さんを含めて4人の小説が載ったらどれほど重厚な誌面になったかを想像されたい。
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関根謙編集長の三田文学 2

2017/04/16 16:54
三田文学春季漱石特集号から、大好評だった保坂和志氏の連載「TELL TALE SIGNS」が消えている! これには事情がある。関根謙編集長から保坂氏に連載の締め切りが2月22日であるとの電話があった。保坂氏が「それは無理です」と言うと、関根氏は「じゃあ、今回はなしということで」と応じたという。これには唖然とする。こういうのを原稿依頼とは呼ばない。相手が保坂氏ほどの作家であれば物理的に不可能なところまで締め切りを延ばすのは常識だ。あるいは、2,3枚でもいいからとお願いする手もある。関根氏は、三田文学が保坂和志氏クラスの一流作家の連載をもつということがどのようなことが全くわかっていない。土下座とまで言わなくても、ひたすら頭を下げて、お願いし続けて熱意を示すしか法はないのだ。それが三田文学編集長の仕事だ。ひたすら頭を下げお願いし、感謝し、お礼を言う。三田文学編集長の仕事など極言すればそれだけだ。私は吉増剛造さんに「命を賭けろ」と言われて仕事をした。関根謙編集長は三田文学編集長という立場についてのあまりにも甘い見通しと覚悟でやっている。「TELL TALE SIGNS」は、他の文芸誌に流れる危険がある。

関根謙三田文学編集長のあまりにもお粗末な原稿依頼は吉増剛造さんと牧野十寸穂さんの薫陶を受けた私には唖然とすべきものだ。原稿依頼に返事がないとき吉増さんは私に「それは行けますね」と言った。断りの返事が来た時には、「それはいいサインですね」と言った。名編集長とはこういうものだ。

三田文学春季漱石特集号編集後記は、完全に私のスタイルを模倣したものであるが、「激しさを増している」「燃える情念を伝えている」等、具体に触れることのない内容空疎なレトリックに満ちており、関根謙三田文学編集長の根本的な読みのなさ、文学的センスのなさを証拠立てている。


三田文学春季漱石特集号で関根謙三田文学編集長は、やってはいけないことをやり、やらなければいけないことをやっていない。関根謙三田文学編集長自身の著作を書評欄で取り上げることによって三田文学誌面を自著の宣伝に使っている。これはやってはいけないことだ。他方で、関根謙編集長の原稿依頼のあまりのずさんさのせいで保坂和志氏の大好評連載「TELL TALE SIGNS」が誌面から消えてしまった。

保坂和志氏クラスの作家から三田文学如きが連載を頂けるということは普通のことではない。特別の御厚意を頂いていると深く感謝して当然である。深い感謝と熱意を示しつつ頭を下げてお願いするという三田文学編集長としての基本すら関根謙三田文学編集長にはできなかったということだ。関根謙氏の三田文学編集長としての資質に深い疑念をもたざるを得ない。

保坂和志氏の大好評連載「TELL TALE SIGNS」は三田文学の宝である。内容・ジャンルは何でも、枚数は2,3枚〜100枚でお願いしてある。これは保坂氏に何とかして連載を引き受けて頂きたいという一念からの策でもあるが、三田文学を保坂氏の言う練習としての書くことの実践が展開される先鋭的な場としたいという夢と願いから出たものでもあった。関根謙三田文学編集長はこういったことを少しでも理解して編集長をやっているのであろうか。もし理解しているとすれば保坂氏「締め切り2月22日は無理です」関根氏「じゃあ、今回はなしということで」、こんな原稿依頼とはとても言えないやり取りはあり得ないだろう。書き手の方に感謝も熱意もないと判断されてもしかたがない。「TELL TALE SIGNS」は他の文芸誌に流れる危険がある。もしそうなった場合、三田文学が大きな宝を失ったことの責任はすべて関根謙三田文学編集長にある。

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関根謙編集長の三田文学 1

2017/04/16 16:51
三田文学春季号漱石特集。編集後記に関根謙編集長が「多くの文芸誌で特集を組んできた漱石、本号では新たなアプローチを目指した」と書いているが、これはおかしい。漱石特集、企画・編集すべて私がやったので、「新たなアプローチを目指した」人がいるとすれば、関根編集長ではなく、私だ。

三田文学春季号漱石特集については、新人賞、追悼・三浦朱門(!)、書評以外は、連載・特集を含めて企画・編集すべて現三田文学編集長関根謙氏ではなく、前三田文学編集長である私がやった。したがって、追悼・三浦朱門、書評を見れば関根氏の三田文学編集長としての資質はわかるであろう。

三田文学春季号漱石特集の書評では何と関根謙編集長自身の著作が書評対象として取り上げられている(!)。編集長が三田文学の頁を自身の著作の宣伝に使うことなど許されるはずがない。三田文学編集長というのは、かなりのところまで自分を捨てないと務まらない仕事だと思う。少なくとも私は1年間そのようにやって来た。

三田文学春季号漱石特集の書評の評者は、関根謙編集長の著作の評者櫻庭ゆみ子氏(慶應大学教員)を除く3名が何とすべて三田文学会の理事か常任理事である(!)。関根氏は書評対象の書物も評者も決められなかったのか。あるいは、書評の執筆機会を理事・常任理事の間で分け合ったのか。・・・すべては、三田文学編集長関根氏の編集長としての資質とヴィジョンに関わる。

私は三田文学編集長として相当な抵抗を受けながらも三田文学会理事・常任理事を中心とする人脈から離れたところで、三田以外にもアピールし得るレベルの高い面白い雑誌作りを目指していた。書店の店頭に並ぶ以上それは当然のことだ。そしてできれば慶應からの補助金や会員収入に頼るのでなく売り上げも伸ばせれば、と。そうしないと、いずれは補助金も出なくなるだろうという危機感を持っていた。ところが、今回の三田文学春季号の書評を見る限り、全く逆の方向に行っている。私はこれは三田文学の終わりの始まりだと思う。

三田文学春季号漱石特集書評について、実は編集部で働く三田の学生井上柚季さんに山下澄人さんの『しんせかい』の書評を依頼していた。しかし、それは切られている。私は井上さんの才能を高く評価していた。しかも三田文学編集長の大事な仕事に三田からの新人育成ということがある。書いてもらうことで井上さんの才能がさらに大きく伸びることになったであろう。関根謙編集長は『しんせかい』より自分の著作の方が一般読者へのインパクトが強いと考えたのであろうか。また、井上さんという才能ある新人を伸ばすことより自身の著作の紹介の方が意義深いとでも考えたのであろうか。関根氏の著作は、あくまで専門的な研究書であり、一般読者には「この時期の中国にこんな文学者がいて、こんなことがあったのか」くらいの感想以上の何ものをももたらさぬものだ。

三田文学春季漱石特集号書評に自身の著作の書評掲載することで、関根謙編集長は自身の私利私欲のために三田文学編集長の立場を利用していることを明かしている。関根謙編集長の三田文学編集長としての資質は深刻に問題視されるべきだ

三田文学春季漱石特集号が私の編集した冬季保坂和志特集号の高みから転落しつつある形姿を示していることは明らかだが、それでも一定のレベルを保っているのは、新人賞、追悼・三浦朱門(!)、書評以外の連載・特集等の企画・原稿依頼をすべて三田文学前編集長である私がやったからだ。誌面全体が追悼・三浦朱門、書評にあるようなテクストで埋められた場合を想像して頂ければ、関根編集長の編集する三田文学がどのようなものであるのか、そして関根編集長の三田文学編集長としての資質がどのようなものであるのか、自ずと明白になるだろう。
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『「日本」の起源』が八木幹夫さんから高評価を頂きました!

2017/04/13 17:29
福田拓也氏の『日本の起源』持統帝の大津皇子暗殺と軽皇子の関わりが古事記神話の裏に隠れた真実とはなんと面白い発見。アマテラス神話の構成と構造が非常に説得力のある形で語られている。鏡に写った自分に驚く天照大神の天野岩屋戸のシーンも実にスリリングな見解。是非一読を。

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拙著が東浩紀さんからツイッターで高評価を頂きました!

2017/04/09 18:29
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