詩人・福田拓也(前三田文学編集長)のブログ

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zoom RSS 関根謙編集長の三田文学 1

<<   作成日時 : 2017/04/16 16:51   >>

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三田文学春季号漱石特集。編集後記に関根謙編集長が「多くの文芸誌で特集を組んできた漱石、本号では新たなアプローチを目指した」と書いているが、これはおかしい。漱石特集、企画・編集すべて私がやったので、「新たなアプローチを目指した」人がいるとすれば、関根編集長ではなく、私だ。

三田文学春季号漱石特集については、新人賞、追悼・三浦朱門(!)、書評以外は、連載・特集を含めて企画・編集すべて現三田文学編集長関根謙氏ではなく、前三田文学編集長である私がやった。したがって、追悼・三浦朱門、書評を見れば関根氏の三田文学編集長としての資質はわかるであろう。

三田文学春季号漱石特集の書評では何と関根謙編集長自身の著作が書評対象として取り上げられている(!)。編集長が三田文学の頁を自身の著作の宣伝に使うことなど許されるはずがない。三田文学編集長というのは、かなりのところまで自分を捨てないと務まらない仕事だと思う。少なくとも私は1年間そのようにやって来た。

三田文学春季号漱石特集の書評の評者は、関根謙編集長の著作の評者櫻庭ゆみ子氏(慶應大学教員)を除く3名が何とすべて三田文学会の理事か常任理事である(!)。関根氏は書評対象の書物も評者も決められなかったのか。あるいは、書評の執筆機会を理事・常任理事の間で分け合ったのか。・・・すべては、三田文学編集長関根氏の編集長としての資質とヴィジョンに関わる。

私は三田文学編集長として相当な抵抗を受けながらも三田文学会理事・常任理事を中心とする人脈から離れたところで、三田以外にもアピールし得るレベルの高い面白い雑誌作りを目指していた。書店の店頭に並ぶ以上それは当然のことだ。そしてできれば慶應からの補助金や会員収入に頼るのでなく売り上げも伸ばせれば、と。そうしないと、いずれは補助金も出なくなるだろうという危機感を持っていた。ところが、今回の三田文学春季号の書評を見る限り、全く逆の方向に行っている。私はこれは三田文学の終わりの始まりだと思う。

三田文学春季号漱石特集書評について、実は編集部で働く三田の学生井上柚季さんに山下澄人さんの『しんせかい』の書評を依頼していた。しかし、それは切られている。私は井上さんの才能を高く評価していた。しかも三田文学編集長の大事な仕事に三田からの新人育成ということがある。書いてもらうことで井上さんの才能がさらに大きく伸びることになったであろう。関根謙編集長は『しんせかい』より自分の著作の方が一般読者へのインパクトが強いと考えたのであろうか。また、井上さんという才能ある新人を伸ばすことより自身の著作の紹介の方が意義深いとでも考えたのであろうか。関根氏の著作は、あくまで専門的な研究書であり、一般読者には「この時期の中国にこんな文学者がいて、こんなことがあったのか」くらいの感想以上の何ものをももたらさぬものだ。

三田文学春季漱石特集号書評に自身の著作の書評掲載することで、関根謙編集長は自身の私利私欲のために三田文学編集長の立場を利用していることを明かしている。関根謙編集長の三田文学編集長としての資質は深刻に問題視されるべきだ

三田文学春季漱石特集号が私の編集した冬季保坂和志特集号の高みから転落しつつある形姿を示していることは明らかだが、それでも一定のレベルを保っているのは、新人賞、追悼・三浦朱門(!)、書評以外の連載・特集等の企画・原稿依頼をすべて三田文学前編集長である私がやったからだ。誌面全体が追悼・三浦朱門、書評にあるようなテクストで埋められた場合を想像して頂ければ、関根編集長の編集する三田文学がどのようなものであるのか、そして関根編集長の三田文学編集長としての資質がどのようなものであるのか、自ずと明白になるだろう。

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